研究内容

 我々が日常的に目にする現象は科学の長い歴史の中で、そのほとんどが理解されてきたように思われるかもしれません。しかし、生命現象を含む多くの動的な現象は、そのメカニズムがまだ明らかとなっていません。その難しさは、系の非線形性(全体が個々の要素の和で表せない性質)や非平衡性(物質やエネルギーが流入・流出する性質)にあります。  非線形性・非平衡性が支配する現象は、ソフトマター系、流体系、化学反応系、生物系などに多く見られ、当研究室ではそれらの現象のダイナミックな秩序構造を理解すべく研究を進めています。現在の主な研究テーマは、非線形振動子の分岐現象、アクティブマターの対称性と運動性、パターン形成、界面ダイナミクス・ゆらぎ等です。µm〜mmの長さスケールで行う実験をベースに理論的解析や数値計算を組み合わせ、個々の系の秩序形成メカニズムの解明を進める中で、非線形・非平衡物理学の普遍的な知見を得ることを目指します。

 このような研究を進める上では、物理学だけでなく、化学、生物学、数学、工学、医学、情報科学などさまざまな分野の知識が必要となります。しかし、すべての知識を持っている必要はありません。必要に応じて勉強しながら知識を得、研究に生かしていければと思っています。また、さまざまな分野の研究者との共同研究、ディスカッションによって、知識の不足を補うこともできます。逆にそのような共同研究から新たな研究テーマが見つかることも期待しています。そのため、できるだけ多くの研究者を研究室に呼び、セミナーを開いています。また、学会や研究会に多く参加するだけでなく、共同研究者の研究室を訪問したりすることなどで、研究の幅を広げています。

 このような内容に興味をもたれた方は、ぜひ一度研究室を覗いてみてください。

具体的な内容

・非線形振動子〜安定したリズムと引き込み現象〜

 自然現象には、安定したリズムが数多く見られます。心拍(脈拍)、呼吸、睡眠リズム、ホタルの発光など特に生命現象に多く見られますが、生命現象以外でも、間歇泉、沸騰しているやかんのふたなど、さまざまな現象に普遍的に見られるものです。これは、バネ振り子や単振り子のように線形の振動(調和振動)のは異なった特徴を持っています。すなわち、どんな初期値からはじめても一定の振幅・周期で振動する、摂動に対して安定である、などの特徴を持っています。このような安定したリズム現象には非線形性(線形ではない、つまり、復元力が変位に比例しない)が重要な役割を果たしており、このような安定した振動をリミットサイクル振動と呼びます。われわれは、化学反応で振動が起こるBelousov-Zhabotinsky反応(BZ反応)、流体現象をうまく利用した塩水振動子・ペットボトル振動子、蝋燭の燃焼による蝋燭振動子、メトロノームなどを用いて、リミットサイクル振動の特徴を解析しています。周期の近い振動子を相互作用させたときにも「引き込み」または「同期」と呼ばれるリミットサイクル振動特有の現象が現れます。これらの現象を実験と理論を組み合わせつつ解析することで、普遍的な理解に迫ります。

・パターン形成〜自律的秩序形成〜

 上に述べたリズム現象は、時間的な規則性が自発的に生まれる現象として捉えることができます。それに対し、空間的な秩序(=パターン)も自発的に生成する現象も自然界には多くあります。たとえば、砂丘の風紋、めのうなど岩石の模様、すじ雲・うろこ雲などさまざまです。もちろん生命現象でも、魚や動物の体表模様、植生の分布などさまざまなところに規則性が見られます。このような規則性が何から生じるのかを理解するために、考えられてきた枠組みに反応拡散系というものがあります。これは、空間各点の状態変化を、ローカルな時間変化と周囲と拡散的な相互作用(=一様になろうとする相互作用)の和で書き表すものです。この枠組みによって、等間隔の縞模様や斑模様が自発的に現れるチューリングパターンや波が等速で進行するようなパターン(ただしこの波には重ね合わせの原理は成り立たず、衝突すると消える)などが再現できます。このような系を実験的に実現するものとして、前項でもあげたBZ反応があります。また、ある種の大腸菌のコロニーの成長も同じような枠組み(+後述の移流も関係します)で記述することができます。このようにBZ反応やバクテリアのコロニー形成などの実験系を用いながら、自律的秩序形成のメカニズムを探っています。

・流れの影響とパターン形成〜反応拡散移流系〜

 上の項では、ローカルな時間変化と拡散的相互作用により自律的にパターンが形成されるということを述べました。しかし、実際の系を考えると、ローカルな時間変化と拡散的相互作用を考えるだけでは不十分です。たとえば、溶液中の化学反応を考えると溶液に流れ(対流)が発生することがあります。また、大腸菌の運動を考えると、大腸菌の走性などを記述する必要があります。これらを取り入れるためには、場自体の運動、つまり移流を考えなければなりません。そこでわれわれは、表面張力変化によりBZ反応で対流が発生する現象や、走化性を持つ大腸菌のコロニー形成などの実験を行いながら、理論的にどのように記述すればよいか、また、どのような普遍的な特徴があるかについて研究しています。

・非平衡開放系としての理解

 上で述べたような現象はすべて非平衡開放系、すなわち、外部とエネルギーや物質をやりとりする系でしか実現されません。量子力学で有名なシュレディンガーが「生き物は負のエントロピーを食べて生きている」と、著書「生命とは何か?」の中で述べているように時間的、空間的な秩序を維持するには外部からエネルギー、エントロピーを取り込み続ける必要があります。このような系のことをノーベル化学賞の受賞者であるプリゴジンは「散逸構造」と名づけました。これまで、平衡系や平衡に近い系については、熱力学、統計力学が確立されてきました。しかし、平衡から遠く離れた系においては、まだ確立されておらず、現在多くの研究者がこの問題に興味を持ち、さまざまな角度からアプローチしています。われわれは、上で述べたような実際の系を題材として、非平衡であることをどう扱えばよいのか考察していきたいと考えています。

・情報物理

 これまで「秩序」が自発的に生成すると述べてきましたが、この「秩序が自発的に生成する」現象は情報科学の面から見ても重要な現象です。たとえば、われわれは反応拡散系における自発的秩序形成を画像処理に応用する試みをしています。数学を用いて、反応拡散系、あるいは非線形振動子の結合系の時間発展を解析し、うまく系をデザインすることによって、入力した画像のエッジのみを残す処理ができることを示しました。また、この画像処理のアルゴリズムはノイズに強いことも特徴です。この系だけに限らず、自律的秩序形成を情報科学との関連で考察していくのも興味深いテーマです。

・ソフトマター物理

 ソフトマターというと聞きなれないかもしれませんが、界面活性剤、液晶、高分子、ガラス、ゴムなど身の回りに多く存在しており、日常生活で重要な役割を担っています。これらの物質は平衡状態への緩和時間が遅いことが特徴です。たとえば、水と界面活性剤の混合系では、混合比率や温度、圧力に応じて、ミセル、ベシクル、ラメラなどさまざまな平衡構造をとることが知られており、さらには準安定な構造に留まることも頻繁に起こります。このようなソフトマター系では、非平衡条件でさまざまな不思議な現象が起こり、非平衡・非線形物理を考える上で重要な知見が得られることが予想されます。理論的考察とうまくデザインされた実験をうまく組み合わせることにより、おもしろい研究ができるのではないかと期待しています。